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くらげびより

Author:くらげびより
社会人6年目に突入する2014年の夏から、青年海外協力隊員としてカンボジアのコンポンチュナン市に派遣。
現地では、生徒会活動の活性化のために中学校で運動会などの青少年活動を行うことになっています。

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好きな哲学と星空に思いを馳せるとこうなる

 大家さんがフェイスブックで確認したところによると、
 「楽しいとたくさん感じる人は長生きする。逆に楽しくないと早死にするよ」
 とのこと。
 そして「リコはたくさん笑うから長生きするよ」とのこと。

 ここ最近、どこのモデル校でも活発に活動しているため、よかったこと、ダメだったことの振れ幅がとても大きく、いちいち一喜一憂しているがもう少し冷静になった方がいいカモと思い始めた。なんだかこちらに来てから、感情の幅がとても大きい。
 よく「あなたは明るい性格だね」と言われる。
そのことを肯定的に捉えられない…というか、自分は決して明るくない、と思ってしまう。しかし考えてみると確かによく笑うし、楽観的な発言をするし、おぉ…そりゃ周りから見れば「明るい性格」かも。

 いつの頃からか、人生を絶望的に捉えるようになった。
 どんな人生を歩んでも、どんなに長生きしても、どんなに辛い思いをしても、楽しくても、幸せでも、必死に生き延びても、生き物は必ず死ぬ、この世界もいつかはなくなるときがくる。そんな当たり前のことに気付くと無力感をぬぐえなくなった。
 生きていても、自分の周りに薄い膜が張られていて周囲がぼやけて見える、現実感がないような気がした。
 だからか、そんな気持ちをどうしても払拭したかったのか、今を生きる人たちの「しあわせ」を守りたい、ともすれば「しあわせ」って何ということを考えるようになった。
 その結果たどり着いたのが、「しあわせ」は主観的なものであって、いかなる環境に関わらず存在しうる、ということ。
 しかし一方で、「自分が『しあわせ』だと思うのは、自分が不幸だと自覚していない」という人もいる。
 そして、自分自身について語弊を恐れずに言うと、自分はしあわせだと思いこもうとしてきた。(愛情と物と機会のすべてに恵まれ、何不自由なく生きてきて、実際幸せなんだと思う。)
 ただ、なぜか素直にそう思えない自分がいた。
 そんな自分が腹立たしく、歯がゆい思いでいっぱいだった。
 そんなとき、大好きな哲学者 中島義道氏の「不幸論」で、幸せだと思わなければいけないなんてことはない、不幸でいいじゃないかという論を見てなんだかストンと落ちた。今まで「シアワセニナラナキャイケナイ」「しあわせは善」と思っていたけど、誰がそんなことを決めたのかと。不幸なら不幸で、その中であがきながら生きていければいいじゃんと、なんだか気持ちが軽くなった。
 だから結果的に私は一般的に言う「しあわせ」なのかもしれないけれど。ここまでくるとただの自意識過剰だが、「しあわせ」じゃなく、「豊かな人生」を歩んでいきたい。
 「こうあるべき」「こうでなければならない」ともすれば偏った考え方に陥りがちだが、どんなふうに考えるかなんて人それぞれだし、人の思考は自由なものであり誰も邪魔することはできない。こんな簡単なことが分かっていなかった。でもこの国の人たちの多くは、それを体で分かっている、ように見える。無常と常のあいだでユラユラ揺られながらシンプルに生きる人が多いカンボジア。
 そしてそんな今宵も変わらず美しい星空を見て、切ないような、悲しいような、途方もない気持ちになったのだった。
 
 
といろいろ問題発言をしましたが、かくいう私は相変わらずのんびり元気に楽しく過ごしているので心配ご無用です!

何かを変えたいと思うとき、幸せだとおもったらその変化は止まってしまう。
そんな気持ちで進んでいきたい、ということが言いたいがための駄文でした。
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